昭和39年12月19日 夜の御理解
人間の計らいの儚さ自然の働きのものすごさ。その自然の働きの、このものすごいまでの働きというものが、災難とか天災と、そう言う様な事に現れてくる時に、ほんとにいわゆるものすごいことになってくるんですね。信心というのは、そういうそのものすごいまでの働きを、自分の幸せの上に頂くこと、信心とはお道の信心は。ね。ですから人間の計らいなんか、実にそのう何て言うんですかね、ほんとに儚いものです。
どんなによいこの頭で計らいましてもです、これはもう自然の働きに比したら、ほんとに儚いものである。そこで日頃私が申しておりますように、成り行きを大切にしなければならない、成り行きを大事にさせて頂く。日頃成り行きを大事にさせて頂いておるから、いよいよという時に、ものすごいまでの働きが、おかげの上に現れてくるんです。ね。いかに成り行きを大事にしなければいけないか。
成り行きを大事にするということ、神様の働きを大事にするということ。ね。自然の働きの、自然のものすごさということは、神様の働きのものすごさということにもなる。そのものずごい、人間の地位やら力やらではどうにもできないような力、働きがです、例えば、いよいよの時に現れてくる。例えばこのたびのことなんかそうでしょうが。もうほんとにその、働き、成り行きの、成り行きのすばらしさも感じる。
その働きももうほんとに素晴らしいと、こういつの場合にでも思うんですけども、いよいよことという時には、もう神様が何か、このここに集めて一つにそれを裁いて下さると言った様な感じがあるですね。私は今度の教会設置問題のことなんかでは、であのう飯塚の大久保先生なんかにたいへん、お気の毒なこ、ことになってから、こりゃ相済まんことになったなといったような、私思いでおりましたんです。
私の立場も困るし、古賀先生の立場もたいへん難儀なことになってきたなぁと、こう思ったんですけども、それとても、やはりおかげであったということが分かる。ね、ああいう、皆さん、今日善導寺に行かれて帰られた時でした、あの、大久保先生から電話が掛かってからもう、もう、こちらの思う、思うておったのと全然予想を反してですね、あのう、お祈り添えをくださっておることが分かり。
またこれからの知恵を貸してくださり、これからも何か指針を、わざわざ電話でくださったりですね、しておられるでしょう。ほんとただ今、私、善導寺にお礼に出らして頂くでもです、ほんと何か知らんけども、神様がお礼に出るには、ちゃんとこう準備までしておってくださるといったような働きになっておるでしょうがね。もうその、そのへんの神様のご都合、お繰り合わせっていうのは。とても日頃成り行きを大事にしておらなければ、頂けるもんじゃないです。
そういう意味合いで皆さん本気でね、成り行きを大事にさせて頂くところの日々でなからなきゃならない。として人間の計らいの儚さを悟らせてもろうて、人間の知恵力と言った様なものの儚さを分からせてもらって、そしていわゆる無限力というか、自然力の偉大さものすごさというものを、おかげの上に現していくおかげを頂かなければならない。そこに夢にも思わなかったようなおかげ、ほんとに、このような思いもかけないおかげにといったようなおかげに進展してくるわけなんですね。
例えば私の信心を皆さんが、聞いてくださるとまたは、見習うてくださるというなら、ここ以外にはないような気がするですもんね。もういよいよ、この成り行きを日頃、大事にさせて頂いておるおかげでです、私はいよいよん時に、その自然の、ものすごいまでの働きをです、おかげの上に現すことができておると。ね、そこんところのおかげを願いなさらにゃいけん、そこんところの修行をなさらきゃいけんと思いますね。